時を同じくして、 「グレゴリー・コルベール」氏の写真展と、「100年の愚行」の本を見る機会がありました。
どちらも、環境問題の意識の高い友人から紹介してもらい、前々から興味があったものです。どちらも、観る人の心をひきつけて、何らかの感情と情念を呼び覚ます作品です。
まずは、グレゴリー・コルベール氏の写真集から紹介します。
画像処理を施さず、レンズをとおして撮影されたという画像は、大きな和紙にプリントされていました。この和紙が、立体感を出し、まるですぐそこに、動物と共存できる人たちがいるかのようでした。
象と人、鷹と人、チーターと人、私にとっては未知かつ、衝撃の美しさでした。
動物と心の通じ合うことのできる人種がまだいると思うと、とても心が安らいだ気持ちがします。けれど、あまりに美しすぎて、悲しくもなりました。
象の目のアップの写真。でも、そこにあるのは、わたしには、やはりただの和紙。
象の瞳に、私の姿は映りません。
破壊されつつある自然環境の中で、象の瞳が一体何を語っているのか、私には読みとることもできないんだという現実を思い知らされた気がします。
「グレゴリー・コルベール」氏の写真と対照的な、「100年の愚行
」の本を紹介します。
「グレゴリー・コルベール」氏の写真展とは対照的に、私たち人間の愚行を収めた写真集。
20世紀の写真集とはいえ、それ以前は写真や印刷の技術が今ほど発展していないわけですから、このような愚行がなかった訳ではないでしょう。
自然の力は、かつての地球の王者だった恐竜をも絶滅に追いやりますが、技術の発展とともに核爆弾や生物兵器などの人為的な策略による犠牲は、かつてはなかったと思われます。
これは、私個人の考えになりますが、醜いもの、汚いもの、残酷なものを見る勇気のない方、そして小学生以下にはお勧めできる本ではないと思います。
30代以上の世代ならどのページも、記憶のどこかには残っている事件やニュースばかりです。油にまみれたペンギン、とめどなく続く廃車の山、人種差別・・。
私たちは必要以上に、ものを消費しすぎているし、世界の表で流れるニュースの裏側の現実を知りません。
ニュースやインターネットはいち早くそれらを伝えてくれているように見えますが、現在のこの社会の仕組みとて、都合のいい情報しか教えてくれません。現に、この「100年の愚行」も、過去の写真集です。
過去のことだと思う人々もたくさんいることでしょう。
けれど、今現在、原子炉の問題は解決しているでしょうか?
人種差別の問題は解決されているでしょうか?
答えはNOです。
私も、情報を伝える仕事に携わる者として、常に新しい情報を提供したいという思いはありますが、だからといって新しい情報がいいというわけではありません。
情報を掲示されたとき、本当にそれが正しいのか、そして役に立つ情報なのか、を理解できるようにならなくては、情報に振り回されてしまいます。
なぜ、情報に振り回されることが悪いのか?
なぜなら、答えは、自分の中で見出さなければ、心が安らぐことがなく、翻弄され、わが人生を生きることができないか、と私は考えます。
「グレゴリー・コルベール」
と「100年の愚行
」という対照的な作品のシンクロ、皆さまはどう思いますか?
最後に、情報に振り回されてしまうリスクをお伝えしたいと思います。
なぜ、情報に振り回されることが危険なのだろう?
それは、無駄に恐怖心を植えつけられ、必要もない争いやいさかいが起こるからです。
ホメオパシーの学校では、「人は皆一人残らず利己的だ」と学びました。
確かに。けれど、人が利己的であるその背景には、利己的になる理由があるのです。
これは、怠け者の私には、大変有り難い理由です(笑w笑)。
でも、人間の本質は、神様から逃れることはできません。
利己的ではあるけれど、「人は、ひとりひとりが優しく、共生する能力が高い」生き物です。
感情を持ち、大事な人を愛しく思い、大切な家族や友情のためなら、できる限りのことをしたいと思うのが、私たちの自然の姿です。それを教えてくれるのが、感情の葛藤です。
恋をしたとき、子供を守りたいとき、それらは、時として、利己的になり、他人を傷つけることもあるでしょう。でも、そうはならず、冷静に、わが身、わが家族、わが友人と同じように接していた偉人たちもたくさんいます。私たちがの仲にも、その偉人の魂は眠っています。それを思い出すためには、時に一人きりで、ささやかな平和な時間を過ごすことが大事です。
誰一人、家族を争いの犠牲にしたい人なんているわけがないのです。これは、世界万人の本来の願いです。それなのに、時として、何故、私たち人間は、それができないのだろう?
「世界平和を願うなら、まず自分自身の平和から。そしてすぐ身近な家庭から。」
まず、自分が平穏で、そして両親、祖父母、兄弟、親戚、友人、隣人との関係を平和で穏やかなものにする努力が一番大事なことです。
違う宗教への恐怖心、知らない民族への敵対心、便利な生活の裏の犠牲への無関心な態度。これは、無意味な恐怖心や自己防衛本能をもたらします。でも、一人一人と接すれば、みんな、本当に優しい一人の人間です。欲望、嫉妬、恨み、妬み、怒り・・それらは、全て、自分の囚われた枠から出てくる、これもまた人類共有の課題だとわかります。
今回のテーマで共有したかったのは、「メディア」と「現実に起きていること」と「私たちが考えること」と「わたし」は同じではない、という真実です。
たまには、テレビを見ない、新聞を見ない、情報を入れない。
大切な人のために、自分のために、そういう時間を過ごしましょう。
というわけで、近々、私も3年ぶりに、自分を満たしに、直接、目と目を合わせ、その場の空気を感じる取材のために、アロマテラピー・フラワーエッセンス・ホメオパシー探訪の旅にロンドンとギリシャに行ってまいります。
2007/06記
2015/9編集